ひとひら


学力という色眼鏡で見ない


 

夏休みになりましたね。
 「あゆみ(通知表)」をもらってきたと思います。さて、結果はいかに。
下がっても上がっても、気をつけなければいけない“一言”があります。
それは、「次はもっと頑張りなさい」です。
これは応援しているように聞こえますが、実は違います。
頑張れ!というのは時に「酷」な言葉になります。恐らく、子どもは通知表を親に見せるとき、成績が下がった子ほど何を言われるかと構えています。
いま、その子が手にしているのは学校の評価です。その子自身の人格を否定するような言葉をかけてはいけません。
学校の用意をちゃんとできたこととか、歯磨きを忘れずにできたこととか、好き嫌いを克服できたこととか、学校では見せない「頑張った部分」も全部、その子自身です。
成績だけで全てを測るようなことがあってはいけません。
頑張ったのに惜しかったねぇ〜と言う、とか、何が苦手だったのかを聞く、とか、
その子がしてきたことに目をむけ、声をかけてあげるといいです。
来学期に頑張れるかどうかは、親が「頑張れ」と言うかではなく、子ども自身が「頑張ろう!」と思うことがスタートです。
繰り返しますが、通知表は学校内での成績や生活態度に対する、先生の評価です。
そこに書かれていることが、その子の全てを表しているのではありません。
成績が下がって落ち込んでいる子にも、成績が上がって調子に乗っている子にも、
かけてあげる言葉は「頑張ったもんね」です。

人生って長いのに、どうしてそんなに学校時代の成績にこだわるのでしょうね。
80年生きるとして、学力が問われるのはほんの16年。(小学校入学〜大学卒業まで)
人生の5分の1です。残りの5分の4の人生の時間は、学力とはほぼ無縁です。
ところが多くの人は、いい成績を取っていい大学に入れば、人生は安泰だと考えます。
そんな人は実在していますか?
どんな大学を出てもどんな職業に就いても、安泰なんてことはあり得ません。
仕事をしつづける、 研究をしつづける、 開発をしつづける、 営業をしつづける、
それらを実行しなければ、どんなに勉強ができたって「安泰」という事実は成し得ません。
いいえ。 し続けたところで、安泰かどうかも怪しいところです。
周りをよく見てください。
物事が上手く行っている人って、勉強ができた人ですか? 出世した人って、学年トップの人でしたか? モテる人って、みんな東大生ですか?
違いますよね?

上手く行く人は「心の豊かな人」です。あなただってそう思っているはずです。

勉強ができなくたって、豊かな心があれば友人がたくさんできます。
東大に入れなくたって、豊かな心があれば東大生を友人に持てます。
容姿が多少悪くたって、豊かな心があれば素敵な人と付き合えます。

だから。
色々なことを感じる取ることができる学生時代に、勉強の2文字だけを詰め込むのをやめませんか。
本当にいます。勉強ばっかりしてきた人。
でも方程式で女心は掴めません。そんな人に限って、いつになっても彼女も出来ずに独り者です。出会いのチャンスがなかったとか、女なんて面倒くさそうだとか、色々言います。
申し訳ないけど、そんな話には共感できません。
恋すらしないんですよ? いえ、できないんです。
あなたは恐らく、人を好きになることの素晴らしさ、人に愛される喜びを知っていますね。
その感情を知らなかったと仮定した人生をどう思いますか?
生きていけますか?
それぐらい、人を愛し人に愛される人生とは素晴らしいものです。
勉強してばかりいたら、そんな気持ちに出会えないと言っているのではありません。
子どもは勉強するのが仕事、みたいな気持ちで育てると危険だと言っているのです。
2、3歳の子だって異性を好きになれます。なので、小学生・中学生・高校生・大学生ならなおさらです。
恋愛は「うつつを抜かしている」わけではありません。いろんな人を好きになり、いろんなことが起こり、時には傷つき、時には飛び上がるほど嬉しいことが起こります。

それは親や先生から教わることはできません。
どうか、誰かを好きになってときめいている我が子を軽蔑しないであげて欲しいのです。
それも大事な勉強なのです。

私たちが恋愛をしていた頃とは、今は違います。ケータイがありパソコンがあり、家の人を通さなくても本人同士だけでやりとりができてしまう世の中です。
だから心配になるのはよく分かります。
でも、その子の将来を一番に考えて気にしているのは、その子自身です。
あなたではありません。
そんな大事な自分の将来を棒に振ってまでの犠牲を払って、何か起こすと思いますか?
起こしません。
ちゃんと自分のために努力し、自分の道を見つけられます。
だから、勉強の2文字を詰め込むのはやめにしませんか?
勉強しなさいって言うとき、それは誰のためですか?
勉強しなさいと言ってる暇があるのなら、勉強するとこんなにあなたに素晴らしい事が起こっていくということを、ぜひ話してあげてください。
勝手に勉強するようになります。

豊かな心を持ったまま勉強も進んでやるのなら、こんなにいいことはないのではないでしょうか?

お母さんには、燃えるような恋愛感情を与えることができません。
胸のときめきも教えてあげられません。
いつか子どもが自立するとき、必要になるのは学力ではありません。心の豊かさです。
あなたには、学力という眼鏡の向こう側しか見えない親には決してなって欲しくないのです。
あなたの人生のためにも。




 長男が、中3の時「学年順位」を気にしていました。
順位って、人vs人なんですよね。そして誰かに勝ったところでその上にも誰かいる。
終わりがない競争です。だから言いました。
順位を気にするということは、いつまで経っても誰かがいての評価だと。
何かの中の評価だと。
そうじゃなく、自分の過去と比べてみなさい。
前回70点だったのならば今度は71点取ればいい。
今までの自分より一歩でも前に出る事のほうが素晴らしい。
そう言いました。
たとえ69点でもいいのです。
その1点の間違いに気付く意味があることを本人が知っていますから。
誰かと比較した場合だと、もしそれでも順位が上がっているとき、その1点の間違いを軽視してしまうのは愚か、気付きもしません。
人のことを気にしている人は、メンタル面でもかなり弱くなります。
でも「自分に負けたくない」と思っている人は強いです。
誰かよりも、ではなく、今までの自分よりも向上したいと願う子。
私は素敵だと思います。