善し悪しを説いて教える。
善し悪しが解るように諭す。 

はっきり言って面倒くさいものです。
ガ〜ン!と怒鳴ってピタ!っと言うことをきいてくれたほうがラクです。
でもそれではとても大切なことに、親子とも気づくことができません。
そして、怒鳴られることに慣れている子どもは、怒鳴るという武器を平気で使うようになり、怒鳴ることで人をコントロールしようとします。
分かって欲しいときは怒鳴る。
分かってくれなきゃ怒鳴る。
そういう人格に成長していってしまうのです。
言葉で教えてもらっていないため、言葉で伝える技術が不足するのです。
ですから声を荒げ、手を出したりもします。
逆に甘やかして育ててしまうと、泣くことで人をコントロールしようとしたり、無視することで人の気持ちをコントロールしようとします。
どの場合も、その子が将来人間関係で苦労することは目に見えています。
叱り方ってとても大事なことかもしれません。
なぜそう叱るのか、ということを知らずに叱ったところで、あなたの大事なお子さんに伝わるわけがないと思うからです。
時には反論したくなるときもあると思います。
時にはそうなんだ〜と感心するときもあると思います。
そうやっていろんなことに対して、自分の意見を再認識することも、親にとっては必要なことです。
私に3人子どもがいますが、上手に子どもを叱れるのではありません。
10人いたってできない人はできません。
逆に1人だってできる人はちゃんとできます。
「心の豊かな人に育てるにはどうしたらいいのか?」
ということを真剣に考えて、洞察する力をつければ誰にだってできます。
洞察力が上がれば、諭す力も上がります。
諭す力が上がれば伝える技術が身に付きます。

名プレーヤーが名監督になれないのにはワケがあります。
それは「自分はできちゃうから相手ができないことが理解できない」から。
教えることができるのは、自分も分からなかったという経験を持つ人。
だから相手のことを理解して力を知り、それに答えることができるのです。
監督である親に必要なのは、自分が好プレーを連発することではなくて、相手である子どものことを良く理解し、子ども自身が好プレーを出す手順をきちんと教えてやれることです。

ですから、立派な親であることより大切なのは、たくさんの痛みを知り、その出口を知っていることです。



ひとひら

諭す?お説教?