ちょこっと、自戒をこめて。…って、いつもなんですけどね。(^^ゞ
少し前の話です。
あるお寺のお祭りで、活動をすることになりました。
お祭りをとおして「伝える」という目的のためどうすればいいか?
アイディアを出し、そのための準備をしていきました。
私は、ちゃんと準備が出来ていないと不安になるタイプです。
ですから、そのときも、頼まれたことだけでなく、自分が気がついたことは、
どんどん取り入れていきました。
手間も時間もかかり、大変でしたが、それは、「伝える」という目的のため…。
お祭りは、事故なく無事に終えることが出来ました。
私は、ちょっと得意な気持ちになっていたのです。
ところが、いっしょに活動したメンバーからは、思ったほどの反応がかえってきませんでした。マイナスというわけではないのですが、特に注目することもないというか。
なんだかちょっと空振りという感じです。
「エーッ、あんなに一所懸命やったのに?」
思わず、そんな気持ちが頭をもたげてきました。
そこで、私は、親しい友人に、愚痴をこぼすことにしました。(笑)
愚痴や不平は言わないほうがいいという考えもありますが、
私は「ためこむ」くらいなら、とりあえず出しちゃうほうをお薦めしています。(^^ゞ
友人は、親身になって話を聴いてくれ、慰労してくれました。
おかげで、私も、気持ちが晴れました♪
そこで、今度は、ひとりになって、考えました。
「私は、誰のために、これをやったんだろう?」
お題目を伝えるため。
いっしょにやっているみんなのため。
そこに、うそはありません。
なのに、なぜ、気持ちがふさいでしまったのか…?
「みとめてもらいたいから」
ぽろっと、ことばがこぼれました。
その自分のことばに、私は、思わず笑ってしまいました。
みとめてほしいのなら、みとめてほしいと、ことばにすればよかったのです。
それなのに、「これだけのことを、やったのだから、ほめてもらえるのが当たり前」
自分で勝手に構図をつくり、その構図どおりにいかなかったから、勝手にすねていただけなのです。(笑)
気持ちがゆるんだら、その活動をやっていた最中の気持ちがよみがえってきました。
楽しかったのです。おもしろかったのです。わくわくしていたのです。
だって、やりたいと思ってやったことでしたからね!
自分で選んで、やったことでしたからね!
そうしたら、本当のことに気がつきました。
「伝える」ため。みんなのため。それもうそではないけれど、
本当は、本当は…「自分のため」!
そう。私は、自分自身のよろこびのために、それをやっていたのです。
それをやることが、自分を元気にしてくれ、
エネルギーを生み出してくれることを知っていたから。
そして、実際、それは、私にとって、とても貴重な体験になってくれたのです。
ひとは、ついつい、自分の都合のいいように、視点を変えるものです。
最初は、純粋に、自分のためにやっていたはずなのに。
いつか、ひとに、それをみとめてもらいたくなり…。
みとめてもらえることが、当然のように思いはじめ…。
みとめてくれない相手に、不満や怒りを抱きはじめ…。(^^ゞ
そうして、ひとりで、ぐるぐるまわってしまうんです。
そんなときにはね、原点にもどればいいんです。
何のためにやったのか、と。
私たちは、いつでも、自分のために生きているのです。
たとえ、他人のためになる生きかたをしていたとしても、それはもともとは、
自分のためにやるのです。
自分に根ざしていないことは、どんなことだって、つづけることはできないのです。
自分のため。その原点に還ったとき、すべてが、すとんと胸に落ちてきました。
もう、不満も嘆きも、消え去っていました。
たぶん、私は、これからも同じパターンを繰り返すでしょう。(笑)
そのたびに、この回路を経由して、自分にもどってこようと思います。
そして、そのもどってくる時間を、少しでもみじかくしていきたいと思います。
自分のため♪
言い切ってしまうと、すっきりして、気持ちいいですよ!(^○^)
追伸
そして、どうしても、自分のためと思えないことなら、それはやるべきことではないのかもしれません。
ひとひら
☆自分のため。
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