現代語訳ご遺文  四信五品抄

四信五品抄(ししんごほんしょう)


末代法華行者位並用心事

青鳧(穴のあいた銭)をひと結い、送り届けていただきありがたく受け取った。

さて、近頃の学者はみな次のような考え方をしている。すなわち「仏の在世と滅後とでは相違があるが、法華を修行しようとするものは、必ず戒・定・恵(かい・じょう・え)の三学を具しておかなくてはならない。この中の一つを欠いても、目的は達成されない」というのである。

私もまた最近までそのように考えていたのであるが、仏一代の聖教(しょうぎょう)については暫くおくとして、法華経に限ってこのことを考えてみるのに、大変な誤りであることがわかった。

法華経については序分(じょぶん)と正宗分(しょうしゅうぶん)と流通分(るつうぶん)との三つに区分できるが、序分と正宗分とは一応置いておいて、流通についてみると、これは末法のことをうつし出した鏡のようなものである。その流通分に二門がある。一つは迹門(しゃくもん)の中の法師品等の五品であり、二つには本門(ほんもん)の中の分別功徳品の後半から経が終わる最後の品までの十一品半までである。

この十一品半と五品とを合わせて十六品半となるが、この中に末法において法華経を修行するあり方が明らかに説かれている。なおこれらの品だけではまだ充分に理解できないという場合は、観普賢経や涅槃経等をよく読んで、究明すれば更にはっきりとすることであろう。

その中の分別功徳品に説かれている四信と五品とは、法華経を修行するうえでの最も大切な要(かなめ)であり、仏の在世と滅後を通じての行者の鏡とすべきものである。

荊谿尊者(妙楽大師)は、「四信の最初である一念信解(いちねんしんげ)とは、すなわち法華本門における修行の第一歩である」と文句記(もんぐき)の中でいっている。その中に現在の四信の初めの一念信解と、滅後の五品の第一である初随喜品(しょずいきほん)との二つは、ともに百界千如(ひゃっかいせんにょ)・一念三千(いちねんさんぜん)の宝を収めてある箱のようなものであり、十方の三世にわたるすべての仏の出生された門である。

天台・妙楽の二人の聖人賢者が、この一念信解と初随喜品の位を定めるにあたって三つの解釈をされた。

その一つは五十二位の中の最初の十信と、六即(ろくそく)の中の四番目にあたる相似即(そうじそく)にあたるという説、

二つ目は六即の三番目にあたる観行即(かんぎょうそく)と、五品の最初の品にあたる位であって、まだ見惑と思惑といった最初の煩悩をも断じていない位であるとする説、

さらに三つ目は六即の二番目である名字即(みょうじそく)の位であるとする説である。

止観の第七ではこの三つの違った説にたいし、「仏の御心は広大であるので知ることはむずかしいことであるが、教えを受ける相手によって違いが生じてきたのであり、この点から考えるとそんなに深く考えて論争しあうほどの事でもないであろう」というのである。

私の考えでは、先の天台・妙楽の両大師がいわれた三種の解釈の中では、名字即の位が経文にかなったものではなかろうか。それは分別功徳品の中で、仏滅後の五品の位を説いて「法華経の寿景品を聞いて毀?(きし→ソシル事)せずに随喜の心を起こす」と説かれている。もしこの経文が相似即や五品の観行即のような上位にわたって述べたものだとしたら、「しかも駿警せずに」という言葉が、この場合適当でないことになるであろう。特に寿量品では「本心を失った者、あるいは失わざる者」といっているが、ともに名字即の位にある者である。

また涅槃経の四依品(しえぼん)には「もしは信ずるもの、もしは信じないもの、乃至インドにある煕連河(きれんが)の砂の数ほども、多くの仏を供養した功徳によって、正法を謗らないもの」と説かれているが、これらを考えてみるのにみな名字即の位である。

また一念信解の四文字の中の「信」の一字は、四信の最初の信であって、最も大事であり、「解」の一字は第二信で取り扱っているからである。もしそうであるとしたら、経文を理解することが出来なくても信のあるものは、四信の最初の位にあたる。

経文には第二の信について、「教えの内容について概略を理解することができる」と記されている。文句記の第九には「ただ初信を除く、解がないからである」と記されている。したがって次の随喜功徳品において、五品の第一である随喜品のことを重ねてわかりやすく説明している。

すなわち法を聞いたものが次々に語り伝えて、五十人に至ったとき、法門の内容は最初の人からくらべるとかなり薄いものとなってしまっているはずである。その五十番目の薄くなってしまった人について、二通りの解釈がある。その一は第五十人目の人は初随喜の位に入る人であるという説と、もう一つは初随喜の位の外であるという説で、これは名字即の位であるというのである。

妙楽大師が「教えが次第に優れていくにしたがって、修行する人の位は逆に低くなっていく」といっているのはこの事である。法華経以前に説かれた四味三教よりも法華の円教のほうが位の低い下根下機(げこんげき)の衆生を救済し、さらに法華の中でも迹門よりは本門のほうが衆生を成仏させているのである。「教えが優れていくにしたがって、修行する人の位は逆に低くなっていく」という解釈に心をとどめて、よく考えるべきである。

お尋ねするが、末法の時代に入っても、法華経を修行しようとする初心の行者は、かならず円教の戒・定・慧の三学を具足しなくてはならないのであろうか。

お答えしよう、このことは大事なことなので経文と考え合わせてあなたに解答をお送りしよう。すなわち五品の初めの一・二・三品は、戒律と禅定の二法をかたく制止してもっぱら智慧だけに限るとし、智慧に自信のないものは信をもって慧に代えることができるとして、究極的には信の一字をもって最も大切なものとされた。したがって逆に不信のものは一闡提(いっせんだい)であり謗法(ほうぼう)の原因となる。また信は智慧の因であって名字即の位である。

天台大師は玄義の第八巻で、「相似即の位を得たものはこの世での生が終わって次の生へ行っても忘れることはないが、名字即と観行即の位のものは次の生へ行くと忘れてしまう。あるいは忘れないでいるものもいる。忘れてしまったものでも善知識(良い指導者)にあうと、前世において得た善き縁がよみがえってくる。しかし悪友にあったならばすべて本心まで失ってしまうことになる」と述べている。

この文から考えてみるに、おそらく中古の天台宗の慈覚.智証の両大師も、みな天台・伝教両大師の善知識にそむいて、心が真言宗の善無畏・不空といった悪友に移ってしまったのである。さらに末代の学者らは恵心の著した往生要集(おうじょうようしゅう)の序文に迷わされて、法華の本心を失い阿弥陀の権門に入ってしまった。大きな教えから退ぞいて小さな教えを取ったものたちである。

過去の例からこのことを思うに、これらの人々は未来にわたって無限の永きにわたり、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちてしまうであろう。「もし悪友にあうことになれば本心を失う」というのは、まさにこの事である。

お尋ねするが、それではそのような証拠はどこにあるのか。

お答えしよう、摩訶止観(まかしかん)の第六に「法華以前の諸教で、修行する人の位が高く説かれているのは方便の説であるからである。法華円教の教えでは、低い位の人々を救済することができるが、これは真実の教えであるからである」とあり、また弘決(ぐけつ)の第六ではこの止観の文を解釈して「前教といっているところから下の文は、まさしく教えの権と実とを判定したものであって、教えがいよいよ真実となるので修行するものの位は低い人を対象とし、逆に教えが権教であると修行する人の位は高いものとなるからである」といっている。

さらに文句記の第九には「修行する人の位についていえば、修行者の目ざす境地が深くなればなるほど、位のほうは逆に低いものをあらわすことになる」とある。

他宗のことについてはしばらく置くとして、天台一門の学者等はなぜ実教の教えが低いものを救うという解釈をさしおいて、恵心僧都の筆によって記された書物を信用してしまうのか。

善無畏・金剛智・不空といった真言宗の講師と、慈覚・智証といった人々のことについては、また追って機会をえて学ぶべきである。このことは大事なことであり、この世界では第一の大事である。心ある人々ならばまず私のいうことをよく聞いた上で判断を下してほしい。

お尋ねするが、末代における初心の行者は、どのようなことに注意して修行すべきであるか。

お答えしよう、六度の中の前の五度を制止して、後の智慧を修するのであり、ひたすらに南無妙法蓮華経と題目を唱えることが大切である。これが一念信解であり初随喜の気分であって、信をもって智慧に代えることができるのである。このことがすなわち法華経の本意とするところである。

お尋ねするが、そのようなことはいまだ聞いたことがないので、大いに心を驚かし耳を疑いたくなる。そこで証拠の経文を明らかにして、詳しく説明していただきたい。

お答えしよう、分別功徳品には「すべからく初心の行者は、仏のために塔寺や僧房を造り、飲食・衣服・寝具・医薬といった四事をもって、僧に供養をしてはならない」とある。この経文は明らかに初心の行者に布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)等の五度の修行を制止したものである。

疑問に思うのでさらに質問するが、あなたがいま引用した経文はただ寺塔や僧に供養することを制止したものであり、持戒や禅定といった五度を制止したものではないと思うが、この点はどうか。

お答えしよう、この経文は最初の布施をあげて後の持戒等を省略したものである。

お尋ねするが、どうしてそういう事がわかるのか。

お答えしよう、次の第四位にあたる兼行六度(けんぎょうろくど)について説かれた経文には「また人がよくこの経を受持して、兼ねて布施や持戒等を修行すること」とあるので、この経文は明らかに最初の第一や第二、および第三品の人には、布施・持戒等の五度を制止し、第四品に至って始めてこれを許しているのである。あとで許したことから考えてみるに、初めに制止したことが理由のあることであった。

お尋ねするが,経文はいちおう一品から三品までの人について、布施等の五度を制止しているように思えるが、人師・論師の註釈書にはなんと記されているのだろうか。

お答えしよう、あなたが尋ねた註釈書というのは、インドの人師の書いたものか、または中国や日本の人師が書いた書物を指しているのか。

いずれにしても経文が一番の根本となるものであるのに、その経文をさしおいて後の人の書いた註釈書に頼ろうとするのは、体を離れて影を依り所にしようとしているのと同様であり、水源を忘れてしまって末流を大切に思っているようなものである。

明確に示されている経文を軽視して人師の書いた註釈書を求め尋ねようとすることは間違いである。もしも経典と相違した註釈書であったとしたら、経典のほうを捨て註釈書のほうをとるとでもいうのか、そのようなことはあってはならない。

しかしながら今のところは一応お尋ねにそって註釈書の文を示してみることにしよう。法華文句の第九巻には「初心の行者は助縁(じょえん)の法を修行すると、かえってそれにまぎれてしまい、正しい修行の業法をさまたげてしまうことになるのを恐れるものである。そこでただちに専ら法華経をたもつことがすなわち最上の方法である。諸事を廃止して真理を修行することは利益もまた多大である」と天台大師が述べられている。

この解釈文でいう縁とは助縁のことであり、五度をさしている。初心の行者が兼ねて五度を修行することは、正業の信行を妨げることになるのである。

たとえば小船に多くの財物を積み込んで、海を渡ろうとすると、その重みで財物と一緒に沈没してしまうのと同じである。

「ただちに専ら法華経をたもつ」ということは、法華一経全体にわたるのではなく、ただ題目の南無妙法蓮華経をたもち、それ以外の諸雑な信行をまじえないことである。なお一経の読誦さえも許していないのであるから、ましてやその他の五度についてはいうまでもない。

さらに「事を廃して理を存する」というのは、戒律をたもつといった五度を捨て、題目の理を専ら信行することを意味しているのでである。また「益するところ弘く多い」というのは、初心の行者が題目のみを唱えて信行すれば利益は弘く多いが、他の雑行をまじえると利益は全く失われてしまうということである。

天台の法華文句の第九には「もし法華経をたもつことが第一の戒であるとしたら、何でまた後でわざわざ戒をたもてというのであるか」という質問にたいし、「初心の者の戒は経を持つだけでよいのであり、修行が進んで上の段階に至った者については、さらに持戒をすすめているのである。修行の進んだ後の段階の立場で、初心の者の立場を疑問視してはならない」と述べている。

現代の学者らはこうした解釈を見ないで、末法の愚人の修行方法を南岳恵思や天台大師のような進んだ修行をしてきた聖人と混同してしまっている。誤解の中のまた誤解というべきである。

妙楽大師はこのことについて重ねて次のように述べている。「もし塔寺を建てたり、仏舎利を供養するということをしなかったならば、戒をたもつとか僧に供養するといった布施行を修することが出来ないことになるではないか」。

これに対し伝教大師は「二百五十戒をたちどころに捨ててしまった」と顕戒論縁起(けんかいろんえんぎ)の中でいっている。すなわち初心の者は法華経を信じることが戒をたもつことになるので、他の戒はいらないのである。ただ伝教大師一人に限らず、鑑真の弟子の如宝や道忠、ならびに奈良の七大寺等の僧も、みな戒律を捨て去ってしまった。

また伝教大師は未来の世をいましめて、末法燈明記(まっぽうとうみょうき)に「末法の世の中で、もしも戒をたもつ者がいたとしたら、たとえば市の中で虎を見たというのと同じくらい奇異なことであり、誰も信じないであろう」と記している。

お尋ねするが、大事な一念三千の法門による観心の修行をすすめないで、どうしてただ題目ばかりを唱えよというのか。

お答えしよう。たとえば日本の二字の中に、六十六もある各国の人間やら家畜の類・財物のすべてが収まってしまって一つも余すところがない。また月支(がっし)という二文字の中にはインドの七十もある国々のすべてが収まってしまう。

したがって妙楽大師は法華文句の記の第八の中で、「略して経文の題名である妙法蓮華経の五字をあげれば、その中に一部八巻二十八品の全経文を収めることになるのである」と述べており、また釈籤の第一では「略して十界と十如をあげると、その中に宇宙のすべて三千の大千世界をもれなく収めている」と説かれている。

文殊師利菩薩も阿難尊者も、インドの霊鷲山や虚空会で説かれた八年間の仏の教えを妙法蓮華経と題をつけ、その題のもとで「私はこのように聞いた」と語っている。したがって妙法蓮華経の五字の中には、仏のすべての教えか含まれているのである。

お尋ねするが、何も理解できない者がただ南無妙法蓮華経と唱えるだけで、理解したと同じような功徳が得られるのかどうか

お答えしよう、たとえば赤子が母の乳を含み飲む時に、いちいち味がわからなくても、自然に発育していくようなものだ。またインドの名医たる耆婆(ぎば)が調合してくれた妙薬は、薬学の知識が全く無くとも、信じてこれを欽めば重病も回復できるのと同様である。

水は心はないが火を消し、火はまた心がないが物を焼いてしまう。竜樹菩薩も天台大師もみなこのことについてはよく理解していた。重ねてこのことを示した次第である。

お尋ねしよう、なぜ題目の中に万法が含まれているのであるか。

お答えしよう、章安大師は法華玄義の序文について、「最初の題目は法華経の王ともいうべきものであり、この経王はまさに一経の真髄たる文意を述べたものであって、文意はまた経文の心を表わしたものである。

さらに文の心の中に迹門と本門の大切な法門がすべてこめられているのである。妙楽大師は「法華の文心たる題目の五字を基準にして、諸経の勝劣をわきまえる」と釈籤の第十で述べている。

濁った水も月を浮かべておのずと澄んでくるように、草木も雨にあって花を咲かせるように、妙法蓮華経の五字は単なる経文というのではなく、月であり雨の役目を果たすのであって、意味は理解できなくとも初心の行者は信じさえすれば法華一経の真意をおのずと体得することが出来るのである。

お尋ねするが、あなたの弟子は、少しの理解もなくただ一口に南無妙法蓮華経と唱えるだけだというが、その位はどんなものか。

お答えしよう、この人の位はただ法華経以前に説かれた諸経を始め、円教の最上の位をこえただけではなく、さらに真言等の諸宗の元祖である善無畏(ぜんむい)・智儼(ちごん)・慈恩(じおん)・吉藏(きちぞう)・道宣(どうせん)・達摩(だるま)・善導(ぜんどう)等の祖師らよりも百千万億倍優れているのである。したがって日本国中の諸人は、わが弟子を軽視してはならない。

 われらは過去のことを尋ねてみると、八十万億劫という長い間にわたって、無量の諸仏を供養した大菩薩である。まさに涅槃経に説かれているごとく、過去に煕連河の砂の数ほどの仏について修行を積み重ねてきたものたちである。

 また未来のことを論ずれば、八十年の間にわたり布施行をおこなった者よりも超過し、五十のさまざまな功徳を備えたものとなる。例えば、おむつに包まれた天子のようであり、大龍の子供のような存在であって、決してあなどったり、みくびったりしてはならないのである。

 妙楽大師は文句記の第四に「法華経の行者をもしも悩まし乱す者がいたならば、その罪によって頭は七つに破れてしまうであろう、逆に行者を供養し尊ぶ者は、仏を供養した者よりもまして福は十号に過ぎたものが得られる」と書かれている。

インドの優陀延王(うだえんおう)という人は賓豆盧尊者(びんずるそんじゃ)を軽蔑したために、七年たたない中に命を失い、相模守(さがみのかみ)は日蓮を流罪にしたので、百日たたぬ中に兵乱にあってしまった。

勧発品(かんぼっぽん)には「もしも法華経を受持する者を見て、その行者の罪やあやまちを言いふらすものがいたら、そのことが事実であろうと、事実でなかろうとも、この人は白癩の病にかかり、さらにいろいろな悪病にとりつかれるであろう」と説かれている。また勧発品には、「法華経の行者を悩ました者は、代々眼が不自由となる」とあり、実際に明心と円智は白癩の病気にかかり、道阿弥は眼の病気にかかった。国中に流行病が起きているのは、「頭が七つに割れる」という経文に当たっているといえる。

以上の諸経論に書かれていることから考えて、罰を受けている現実の例から推察してみると、われら法華経の行者一門はその福は仏の十号よりも過ぎたものとなることは疑いないものである。

人王の第三十代欽明天皇(きんめいてんのう)の御代に、始めて仏法がわが国に渡来してより、桓武天皇の御代に至るまで、二十代二百余年の間、南都(奈良)に六宗が広まったが、仏法の正邪についてはいまだ決定しなかった。

ところが延暦年間に一人の聖人がこの国に出現された。その名を伝教大師という。この人は先に弘まっていた六宗の教えを研究して、浅深を明らかにし、その欠けている所を指摘して七か寺を弟子にした。後に比叡山に寺を建立し、本寺となすに至った。各地の諸寺を末寺となし、日本の仏教をただ天台の一門としたのである。

国を治める王法と仏法とは二つではなく常に一つのはずである。王法と仏法とがきちんと定まっていれば、その国もおのずと清らかで平和である。

その伝教大師の功績は、源なる根拠が法師品の「すでに説いた四十余年間の経と、いま説いた無量義経と、これからまさに説こうとする涅槃経の中で、最も優れた第一の法が法華経である」という経文により、仏教の勝劣を判定したことにある。

その後になって、弘法・慈覚・智証の三大師が中国の学者の説をたよりに、大日の三部経は法華経よりも優れていると言い、そのうえ伝教大師が宗の一字をけずり去って真言とし、宗派とはみなさないでいたのに、宗の字をそえて真言宗とし、八宗の一つに加えてしまった。

また三人が一緒に勅宣を願い出て、日本中に真言を弘め、寺ごとに法華経の真義をやぶりすてた。これは明らかに仏の説である「已今当(い・こん・とう)」の教えにそむき、釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵となってしまったのである。

このようにして仏法は次第に衰退して、王法もしたがっておとろえ、天照大神・正八幡等の日本国守護の善神も力を失ってしまい、大梵天王や帝釈天・四天王等も邪法の弘まる国を捨て去り、この国はまさに滅びようとしている。心ある人ならばこの現実を嘆かずにはおられようか。

要するに三大師の邪法のおこるもとは、いわゆる京都の東寺と比叡山の総持院と三井の園城寺との三か所である。この三寺の邪法を禁止しなければ、国土の滅亡と衆生が悪道に落ち入ることは疑いのないところであるといえるであろう。

日蓮はこのことをよく考えたうえで、国主にも伝えて諫めたが、一向に聞き入れようとしない。まことに悲しむべきことでおり、残念なことである

 

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底本:―日蓮聖人全集―