現代語訳ご遺文 上野殿母尼御前御返事



上野殿母尼御前御返事(うえのどのははあまごぜごへんじ)



亡くなられた南条七郎五郎殿の四十九日忌の御菩提のためとして、お布施のお金二結いと白米と芋を一駄ずつ、すり豆腐・こんにゃく・柿を一篭・柚子を五十個など届けて頂き、たしかに受領した。

供養のために法華経一部八巻と自我偈数回、題目を百千返唱え奉った。

 

 

そもそも法華経というお経は、仏一代の聖教の中では、他に類例のない立派なお経であって、しかも「ただ仏と仏のみ」と説かれているように、仏と仏のみがよく理解できるのであって、仏以下の等覚ないし凡夫はとても簡単には理解できないものである。

 

したがって竜樹菩暖の大智度論には、「仏以下の者はただ信の力によってのみ仏に成れる」と記されている。

 

法華経の第四巻法師品には「薬王、今汝に教えるが、数多く説かれてきたお経の中で、この法華経が最も第一である」とあり、第五の巻安楽行品には、「文殊師利よ、この法華経は諸仏如来の秘密の宝蔵であって、諸経の中で最も上に位置するお経である」とあり、さらに第七の巻の薬王品には、「この法華経もまたこのように諸経の中では最上に位置するものである」と説かれており、また「最も明らかに照らし、この上なく尊い」とも記されているのである。

 

これらの経文はみな私が勝手に言っているのではなく、すべて仏のまことの教えであるので、少しの誤りもない。

 

一般の庶民に生まれた者が、「私は侍と同じある」などと言えば、必ず罪を受けることになる。ましてや、「私は国王と同じである」と言ったり、「国王よりも優れている」などと言えば、自分自身の罪だけではなく、父母を始め妻子にまで必ず危害を受けることになるのは、ちょうど大火が宅を焼き、大木が倒れる時に、そばにある小さな木などは一緒に折れてしまうようなものである。

 

仏教もまたこのように華厳・阿含・.方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依り所を求めた人々が、自分の信じたままに経の勝劣もわきまえないで、「我が阿弥陀経等は法華経と同じである」と言い、あるいはまた「法華経よりも優れている」などといえば、その同じ類の人々は我が信ずる経をほめられて嬉しく思うけれども、かえってそれが罪となり、師も弟子も檀那も一連の者は悪道に落ち入ることは矢で的を射るように間違いないことである。

 

逆に、法華経が一切の他の経よりも優れていると説き示すことは一向にさしつかえのないことである。むしろ大きな功徳となるのである。このことは経文に示される通りである。

 

この法華経のすぐ前に無量義経というお経がある。例えば大王の行列に先立って、将軍が先に進み乱暴をしようとする者をしずめるようなものである。その無量義経の中に「仏は最初に法を説かれてからこのかた四十余年になるが、いまだ方便の教えのみであって、真実の教えは説かれていない」とある。これは将軍が大王に敵対する者を、大弓でもって射払い、また太刀をもって切り捨てるようなものである。

 

華厳経を読む華厳宗の人々、阿含経による律の僧ら、観無量寿経を信仰する念仏宗の人ら、あるいは大日経を信ずる真言宗の人師らなどが、法華経にしたがって信仰しないのを攻めなびかすための名刀であり勅宣である。例えば阿部貞任を源義家が攻めほろぼし、平清盛を源頼朝が打ち破ったようなものである。無量義経の「四十余年」の文は、ちょうど不動明王の剣と索であり、愛染明王の弓と箭にあたる。

 

亡くなられ.た南条五郎殿が、死出の山や三途の河を渡ろうとする時に、煩悩の山賊や罪業の海賊が出て来て妨害しようとするのをしずめて無事に霊山浄土へまいるように守るお供の兵士は、この無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」の文である。

 

法華経第一の巻の方便品には、「世尊の説く法は最後に至ってまさに真実の法を説きたもう」とあり、また「正直に方便の教えを捨て、ただ無上真実の教えを説く」とも言っている。さらに第五の巻の安楽行品には、「転輪聖王の髪の中にある宝の珠」と言い、「この宝の珠はただ転輪聖王の頭の上だけにある」とも言い、「彼の強力な王が、久しい間護持してきた宝珠を、今初めて与えよう」とも説かれている。

 

この経文の意味は、日本の国に仏教が渡来して、全部で七千三百九十九巻もある。これらの経典はみな法華経に随順するものである。例えば日本国の男女の数が四十九億九万四千八百二十八人あるが、みな一人の国王の家来であるのと同様である。法華経以外のすべての経は、愚かな女人のただ一時的な気安めのようなものである。

 

例えば大塔を造るにあたって、まず材木を立てるよりも、外側に足場といって多くの小さな木を集め、一丈二丈と組み上げていくことから始めるのである。こうして組み上げた足場を利用して、次に材木を立て組み合わせて大塔を造っていくのである。大塔が出来上がると足場は取りはずして片付けてしまうのである。ここで足場というのは一切経のことであり、大塔というのは法華経にあたる。

 

仏が一切経をお説きになられたのは、法華経をお説きになるための足場であったのである。「正直に方便を捨て」といわれているように、法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏や大日経等の真言宗、阿含経等の律宗でいう二百五十戒等を切り捨て、なげうってのちに法華経をたもっているのである。大塔を造るためには足場も大切であるが、大塔が出来上がってしまえば、足場は切り落としてしまうものである。

 

正直に方便の教えを捨てるというのはこのことをいうのである。足揚から塔はできていくのであるが、塔を捨てて足場を拝む人はいないのと同じである。

 

今の世の信仰に篤いといわれるような人々は、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱えたことのない人は、ちょうど大塔を捨てて足場を拝むような人々である。世間でよくいう「かしこいようで、おろかな人」というのはこうした人のことである。

 

亡くなられた七郎五郎殿は、現代の日本人としては珍しい人である。幼少の時から賢い父のあとを継ぎ、まだ二十歳にもならないのに,南無妙法蓮華経を唱えて仏に成られた。

 

「法華経を聞いた者は一人として成仏しない者はいない」と経文にあるとおりである。

願わくは母として我が亡き子を恋しく思ったならば、南無妙法蓮華経と唱えて、先に亡くなられた夫の南条殿と亡き子供の五郎殿といっしょの所へ生まれかわるようにと願うようにしなさい。

一つ種子は同じ一つの種子であり、別の種子は結局別のものである。

同一の妙法蓮華経の種子を心の田に植えれば、同じ妙法蓮華経の芽が生まれ花が咲いて、同じ国へ生まれることができるのである。親子三人で顔を並べて見合う時に、その悦びはいかに深いものであろうか。

 

さて、この法華経を開いて拝見してみると、法師品の中に、「如来はこの経を信ずる人々を衣で覆い、数多くの仏によって守護してもらえるであろう」とある。この経文の意味は、東西南北の四方八方、ならびに三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に、十方の諸仏がぞくぞくとみち溢れ、天の星のように、また地上の稲や麻のようにたくさん集まってこられて、法華経の行者を守護してくださる。例えば大王が太子を数多くの臣下に命じて守護をさせるようなものである。

 

ただ四天王の一族の者が守ってくれるだけでも有難いことなのに、すべての四天王を始め、星宿や日月・帝釈・梵天等までが守護してくださるということは、まことに満足すべきことである。そのうえ、すべての二乗や菩薩、兜率の内院にいる弥勒菩薩、迦羅陀山の地蔵、補陀落山の観世音、清涼山の文殊師利菩薩等が、それぞれ随順する者をつれて、法華経の行者を守護してくださるということは、満足すべきことであるのに、さらにもったいないことには、釈迦・多宝を始め十方の諸仏が自ら来られて昼夜を問わず守ってくださるとのことで、なんとも言いようがないほど有難いことである。

 

このような尊い法華経を故五郎殿は信仰されて仏に成られ、今日は四十九日忌を迎えられたので、すべての諸仏が霊山浄土に集まり、あるいは掌に乗せられ、あるいは頭をなで、あるいは抱いて喜び合い、ちょうど月が初めて昇ってきた時のように、また花が初めて咲き出したように、大変に愛し慈しまれておられることであろう。

 

どうして三世十方の諸仏が、特にこの法華経を守るのであろうか?と、考えてみるのに、それは道理のあることである。そのわけは法華経は三世十方の諸仏の父母であり乳母であり,また主人である。蛙は母の声を食物とするので、母の声を聞かないと成長しない。迦羅求羅という虫は風を食物とするので風が吹かないと成長しない。また魚は水を頼りにし、鳥は木を住家とする。仏もまたこのように法華経を命とし、食物とし住家となされる。ちょうど魚が水の中に住むように、鳥が木に住むように、仏は法華経に住みたもうのである。

また月は水に宿るように、仏はこの経に宿られるのである。この法華経のない国には仏もおられないものと心得えるように。

 

その昔、輸陀王という王様がおられた。この宇宙の主人であった。この王に何を召し上がるのかと尋ねたところ、白馬のいななきを食物とすることがわかった。この王は白馬がいななくと、年も若くなり、顔色も良く盛んとなり、心もさわやかに力も強く、また国の政治も明るく正しく行なえた。そのために彼の国では白馬を多く集めて飼った。例えば魏王という人は鶴を多く集め、徳宗皇帝が蛍を愛したのと同様である。白馬がいななくことはまた白鳥が鳴いたためである。したがってまた白鳥を多く集めておいたのである。

 

ところがある時に、どうしたことか白鳥が皆どこかへ逃げて行ってしまって,白馬が全然鳴かなくなってしまったので大王は召し上がるものが無くなってしまい、盛んな花が露にしおれてしまうように、満月が雲にかくれてしまうようになってしまった。こうして大王が亡くなられてしまいそうになったとき、お后や太子・大臣を始め国中の人々が、みな母に別れた子のように悲しみ、涙を流した。「どうしたらよいのか」と困りはててしまった。

 

その国には仏教以外の宗教を信仰する者が多く、ちょうど日本の禅宗・念仏者・真言師・律僧等のような存在であった。また仏の弟子もあり、現代の法華宗の人々のようであった。

仲の悪いことは水と火のようであり、胡の国の人と越の国の人のようで、少しも和合しなかった。

大王は勅宣を発して次のようにいわれた。すなわち「だれか外道の中で一人でもこの馬をいななかせたならば、仏教を捨でもっぱら外道の教えを信じることにする。ちょうど諸天が帝釈を敬うようにするであろう。またもし仏弟子がこの馬をいななかせたならば、すべての外道の頸を切り、その住んでいる所を取り上げ、仏弟子に与えるであろう」というのであった。これを聞いた外道は顔色を失い、仏弟子も歎き合った。

 

しかし放置しておくわけにもいかないので、まず外道から七日間にわたり祈祷を行なったが/ついに白鳥も来ず、したがって白馬もいたなかなかった。そこで今度は仏弟子が祈祷をすることになり、馬鳴という一人の名の知られていたい僧が行なうことになった。

 

その馬鳴は諸仏が御本尊とする法華経を奉安して、七日間にわたり祈ったところ、白鳥が壇上に一羽やって来て、一声鳴いた。その声を聞いた白馬がやって来て一声いなないたのである。

 

大王は馬のいななきを病床で聞いたが、たちまち起き上がった。お后を始め周囲の人々はみな馬鳴に向かって礼拝をしたのである。白鳥は次第に数を増し、国中に充満していった。白馬もまたしきりにいなないてその数をふやし,百千の馬がいなないたので、大王はこの声を聞き、充分に食べて顔色も良くなり三十歳も若返り、心は太陽のように明るく、政治も正しく行なわれて、天からは甘露の雨が注ぎ、大王の政治はよく国民をなびかせ、末永く大王の御代が栄えて平和な世の中となっていったのである。

 

仏もまたこれと同様である。多宝仏という仏は、法華経に会わない所では御入滅になられて現われず、法華経を読む所には出現なされる。釈迦仏も十方の諸仏もまた同じである。このように不思議な徳のあるお経なので、この経をたもつ人を、どうして天照大神や八幡大菩薩、ならびに富士の浅間大菩薩も捨て去ってしまうことができようか。そのようなことは決してできるわけがない。この事は大変にたのもしいことである。

 

またこの経に敵対する国があったならば、どのように正直に祈願してみても、必ずその国に七つの難が生起し、他国からも攻められて国が滅び去ってしまうことは、ちょうど大海で大船が台風にあって沈没してしまうようであり、大日照りが続いて草木のすべてを枯らしてしまうようなものである。

 

現在日本で行なわれているすべての祈願は、日蓮の一門である法華経の行者を無視し迫害を加えているので、いろいろとお祈りをしているが一向に叶えられず、むしろ逆に大蒙古国からは攻められて、すでに日本は滅亡の危機に瀕しているのである。

現今の世相をよくご覧になられよ。まさしくその通りになっているではないか。これはすべて法華経に敵対しているからだということをお信じなさい。

 

五郎殿が亡くなられてから早くも四十九日がたった。世の無常は常識であるが、亡くなられた事を聞くだけでも悲しみに堪えないものである。ましてや母の身にとり、また妻の身にとってはなおさらのことであり、心痛のほどが推察できる。

 

人の子には幼稚で可愛い子や、おとなしい子もあり、また反対にみにくい子、身体の不自由な子もあるが、親が子を可愛く思う情愛には変わりはない。

 

五郎殿は男の子であるうえに身体も溝足で、武芸にも通じ、心も情け深い人であった。夫である上野殿にはあなたがまだ若く盛りの頃に死別してしまったので、深い悲嘆に見舞われてしまったが、五郎殿を身ごもっておられたので、たとえ火の中、水の中に入ってでも夫の後を追って行こうとされたが、それもできずいた。

 

しかしこの子も無事に生まれたので、誰かにあずけて身を投げ夫の後を追うつもりで心をなぐさめつつ、この十四・五年を過ごしてきた。それなのにどうしたらよいのでおろうか。

 

二人の男の子に担ってもらってと頼もしく思っていたのに、今年九月五日、月が雲にかくされてしまったように、花が風に吹き散らされてしまったように、愛しいわが子に先立たれてしまい、夢を見ているのか、うつつなのか、あわれに永い悲しい夢であると思っていたのに、夢でなくて現実であり四十九日忌も早や過ぎてしまった。

 

これが現実だととしたらどうしようか。咲いた花は散らないで、蕾の花が開かぬまま枯れたように、老いたる母がこの世にとどまり、若い子が先に去って行ってしまった。まことに情けない無常の世の中である。

 

このような情けない国土を捨て去って、わが子五郎殿が信仰していた法華経を信じ、永久に変化しない仏の国土である霊山浄土へお参りなさい。

 

父は霊山浄土におられ、母は娑婆に残っておられる。この二人の中間におられる故.五郎殿の心を思いやると、このうえもなくあわれに覚えてならない次第である。

 

まだまだ申上げたい事がたくさんあるが、これにてとどめることにする。恐れながら謹んで申し上げる。

 

十月二十四日                                   日蓮花押

上野殿母尼御前 御返事

 

 

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