鬼子母神さん

「子授け」「子安」「子育て」「虫封じ」。どこの鬼子母神堂にも、こんな看板がかかっています。民間信仰の中で、鬼子母神信仰はさしずめ小児科というところでしょう。

それは遠くインドに誕生した鬼子母神伝説以来、今日まで変わらない鬼子母信仰の流れとなっていますが、そのいわれは

『昔、王舎城に独覚仏が住んでいた時、仏様の為に法要が設けられた。その法要に詣でようと五百人の一団が、ある村で牧牛女として日を送っていた鬼子母の前生である彼女にも行く様に勧めた。勧誘を大変喜んだ彼女は、自分が懐妊している事も忘れて思わず踊りはじめた。自分の楽しさに溺れてはげしく踊った彼女は流産をしてしまった。五百人の一団は彼女が襖悩する姿を見て怖くなり、急いでその場を去って行った。彼女が自分を助けずに去っていったその姿を恨めしく見送っている時、独覚仏がやって来たので、五百個のマンゴーを供養して悪願を発し「我れは来世に王舎城中に生まれ、全ての小児を餌食となさん」と誓った。しかも彼女は自分の楽しみの為に流産させた罰によって死後、鬼女になったという。』―昆奈耶雑事より-

生まれ変った鬼子母は、悪願どうり、人の子を食うのを常としていました。

お釈迦様はこれを見て、彼女の五百とも千人ともいわれる程沢山いた子供のうち、末っ子の嬪迦羅を取って隠したところ、彼女は十日間、髪をふり乱し飲食も忘れて探し求めたが、見つけ出す事が出来ず嘆き悲しみ、釈尊に救いを求めました。

そこで釈尊は彼女の行為を問い正し、今後人の子を盗って食べない事を誓わせ子供を渡してやりました。それ以来鬼子母は子育て、子守りの守護神となったそうです。

日蓮宗では、子育て守護だけでなく仏教の守護神としての色あいが濃く、これは法華経陀羅尼品第二十六の中で「受持法華名者」―法華の名―つまり妙法蓮華経と唱えるものを守ろうと誓っているところから、日蓮聖人以来、法華行者、持者を守護する神として、どの寺にもまつられています。

鬼子母神さんの姿は、もともと天女の姿で、白紅色の肌をし宝冠をかむり、天衣を美しく着かざり、腕には幼な子を抱いた形だったのですが、仏法の敵をこらしめるために恐しい形相の姿をしたものもあります。口が耳もとまで裂け、鬼気迫まる様な面相で合掌をした立像の鬼子母神さんを日蓮宗では「鬼形鬼子母神」と呼んでいます。

法華経を謗る者をこらしめ、法華経の広まる国土と人民を等しく守護する神として曼茶羅本尊の中にも書き入れられていますが、大荒行を成満した修法師達は、鬼子母神さんの事を、なんでも聞いてくれる「おばあちゃん」と呼んで慕っています。

 

ー鬼子母神さんー

 

 

鬼形鬼子母尊神


 
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