お題目による祈祷ってな〜に?

 

秘妙五壇修法(ひみょうごだんしゅほう)と言いまして、生霊・死霊・野狐(鬼畜)・疫神・呪詛の五つの病悩・障りを断ち切る日蓮宗独特の祈祷法のことです。 

これは、「十種の病悩」の内の呪病・鬼病・魔病・神病・霊病の病魔退散、罪障消滅、現世安穏を成就させるものであります。

この祈祷法で特に重んじる事は「大慈悲心」であり、また、施餓鬼供養・先祖供養を営む事による「知恩報恩」の実行であります。

施餓鬼供養・先祖供養により「霊」の障りを断ち、「霊」を安んじ成仏を願う事によって、「霊」もまた魔をなくすことで苦しみが取り除かれ、生きる者を護念する事になるのであります。

 

死 霊 壇

 死霊の障りとは、ふつう死者の霊による障りをいいます。また、生きている間に抱い た無明煩悩の猛火が消えず怨念・執着を持ったまま死んだ者による障りでもあることから「生死霊」と言う場合もあります。

死者に対して生前に怨念を抱かせるような振る舞いをした者は、この障りによって病悩を得ることになります。

死霊は、お題目によって生死一念と悟り、迷いを翻して得脱の因を増長して救われるのです。

故に、死霊の障りを宿す病者も法華経の経文を信受し、お題目にその身をまかせ、仏祖三宝・諸天善神の守護を浄心に祈念する事によって初めて障りを除くことが出来るのであります。

 

生 霊 檀

生霊の障りは、一念無明・妄想によって生じた怨念と罪業であります。無明の煩悩を盛んに起こすことによって、邪念や悪徳をもって勝手気ままに振舞い、人を怨み陥しいれ無数の罪障を犯す。その為に三宝も諸天善神もその人を守護することがありません。

そこで、その人の身に悪鬼が入り込み、一層怨念や妄想を引き起こさせて心身を惑乱し病者にして悩ます事となります。それ故に、その人はかえって煩悩の炎に身を焼かれ苦しみ事になるのであります。

その上、邪悪に執着し悪業に輪廻して、お題目信仰に背き敵対する事となり、その結果、諸天善神に見捨てられるという障りを示す事になります。 

生霊の障りを断つには、お題目の信受念持と加持の功徳によらねばなりません。即ち、

 

1、悪逆の業障を消滅して菩提を一心に願う事、

2、執着・怨念を生じる罪業の因縁を消滅させ、良薬(お題目)を以って妄念を果報に

  転じ諸天善神の守護を念ずる事、

3、「信」の一字が元品の無明を切る大利剣であると強盛に信受する事、

 

この加持願力をもって病者を本復させるのであります。

生霊の障りは、長い間、深い怨みを抱いて来た者によって顕われるのはもとより、冤罪でも、逆恨みでも障りとなるものですので、常に用心をして唱題行に励むことが大切なのであります。

 

鬼 畜 壇(野狐壇)

野狐(やこ)の障りは、鬼畜・野狐(野干・虎狼)によるものです。

狐狸など動物野獣に対して犯した罪によって悩乱する障りで、俗に「狐つき」・狐に騙されると称される罪障です。

悪業や貧・瞋・痴(むさぼり・いかり・おろかさ)の三毒が原因で仏道を障たげ善心を失わせ邪心をもって病者を悩まします。

これら生き物の祟りは、魔界の眷属になった野狐・鬼畜によるものであり、本来は無明煩悩から生じた業障であります。

生死の長夜を照らすお題目の大燈明によってのみ妄念を取り除く事が出来、罪障から解脱させる事が出来るのであります。

 

疫 神 壇

疫神の障りは、疫病・流行病を起こす「疫神」が病者を邪熱で悩ますものです。

疫神は、慈悲をもって悪業煩悩の深い末世の衆生を憐れみ、衆生を利益するために神として現れたもので、本来は邪神ではありません。

しかし、衆生が罪業を重ねているために病者を悩ますのでありますから、病者懺悔悔滅罪を願いお題目に純粋なる「信」を入れる事によって疫神も守護の誓いを果たすことになります。

 

呪 詛 壇 

呪詛の障りは、他人より呪詛(呪われる)される事によって生じ、病者はその怨念の祟りを受けることになります。 

周知の様に、夜中に藁人形に五寸釘を打ちつけて呪い殺そうとする、所謂、「丑の刻参り」は呪詛の一例であります。

元品の無明に発して妄想偏執を起こし、悩乱させる障りですので、お題目を信受念持して迷いを離れ、怨念を翻して得脱する事を祈らねばなりません。また、煩悩の罪業によって他人に怨念を抱かせた病者も同様にお題目を信じ一心に唱題し祈りを捧げる事が肝要となります。

 

これらの五壇の障り・邪気は、それを招き入れた本人にも大いに責任があり、常日頃より、自己の罪障消滅の為の唱題行に励み、自らを律し、反省・感謝の生活をしていく事が必要であり、又、当然自己の安楽のみを願うのではなく、社会の罪障の消滅を計ることが大切なのであります。

 

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